「うちの子は弱い」アピールは何のため?
私は心臓に先天的な疾患があったので、4歳の時に手術を受けました。それでそれは治ったのですが、学校の体育の授業も受けられず、見学しなければいけない時期がありました。
とはいえ家での扱いは病人のようにされることはありませんでした。クラスメートは迷惑だったかもしれませんが、風邪をひいたくらいで学校は休ませてもらえませんでした。学校に行くのが面倒くさいなあというときに具合の悪そうなふりをしていても、「学校に行けば治る」などと言われて家から追い出されていました。
そのお蔭か、国語道場も今年で創立15年目ですが、私の体調不良で休みになったことは1回もありません(^^)/ もっとも15年なんて毒蝮三太夫さんの3分の1ですが。
基本的に子どもに対して「あなたは◯◯が弱い」などと言うことは、やってはいけないことの一つです。
なぜなら子どもにとって親の存在は非常に大きい、幼少期ならほぼ世界のすべてのようなものだからです。何の気なしにとか、事実そうだからとかいろいろ理由はあるのかもしれませんが、親が何かにつけて、例えば「あなたは体が弱いから」といったことを言っていると、子どもは心から自分はそうなんだと思ってしまうものなのです。
塾をやっておりますと、「自分の子どもは体が弱い」ことを仰る親御さんにお会いすることがあります。
もちろん、視力や聴力が弱いといった、指導上配慮が必要になる情報は不可欠なものなので、ぜひしていただきたいのですが、そういうことではなく、問題なのは「うちの子は体が弱いので」などとお話になることです。
そういう時、「どこかお悪いのですか」とお尋ねするのですが、根拠が不明な場合がほとんどです。特段通院しているとか、医師に相談しているとか言ったケースはまずない。
親御さんからすると、「だってそう思うんだもん」くらいのことで、自分の言動を問題視もされていないようなのですが、それでも、悪くすると本当に子どもが学校を休みがちになるという状況にまでなることがあります。
「病は気から」などと言いますが、親御さんの観念、言葉の端々から子どもに思い込みが醸成されてしまっているのではないかと思われます。
そもそもこういう「うちの子は体が弱い」アピールは何のメリットがあるのか理解に窮するところがあるのですけれども、先日、NHK大河ドラマ「真田丸」のウェブサイトで、真田信幸の元妻こう役の女優のインタビューを読んで、ちょっと納得できる部分がありました。
「子どもができないことで自分を責めてしまい、それでだんだん病気になってしまったのか。それとも病気に行き着いた時、そこに自分の存在意義を見出してしまったのか。いずれにしても、こうの中で「子どもはいないんだけど、私、がんばっているよ」という自己アピールみたいなものが始まってしまい・・・肝心な時に、話を聞かず、自分の体調のことを口にしてみたり。私が信幸だったら「なんだ、この女」と思いますよ(笑)。でも、現実世界にもこういう人って、いそうな気がします。」
うん、なるほど。体が弱いということに存在意義を見出してしまうということなんでしょうか。
「真田丸」の話ですけれども、このこうという女性、やむを得ない事情で信幸と離縁することになり、ドラマの中では侍女として真田家に残ることになります。そうするとまあ、なんと元気になることか。ご飯をよそう時にしゃもじを落としてしまうような病弱だった人が、バリバリ仕事をこなすようになるところがまたいいですね。その人に合った環境がいかに大事かということを考えさせられます。
道場の生徒でも、親御さんから「弱い」と聞いていたようなお子さんが、実際見ていると「別に普通じゃん」ということがほとんどです。そういう時は、特別扱いなしに、叱咤叱咤叱咤激励して参るわけです。そうしているうちに、そういう妙な「親の桎梏」から脱却して、自分で進路を決定していくようになるのですけれども、こういうことは実にうれしいですね。
「うちの子は弱い」などとついつい言ってしまわれる親御さんでも、お子さんが一生ひ弱でいいなどとはお考えではないでしょう。それじゃ就活もできませんからね。その辺を忖度いたしまして、勝手なことをすると思われるところもかもしれませんが、国語道場としましては、お子さんを叱咤叱咤叱咤激励を無慈悲に行わせていただこうと思っているわけです。
ちょうど、「真田丸」のこうにとって離縁が「生き返り」のきっかけになったように、国語道場の環境がお子さんが元気に学べるきっかけになれるように、と思っております。
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