「分かりやすい」を疑え・・・思考力のひ弱な子供たち
年末、家内から「面白いから」ということでNHK Eテレの『筋肉体操』という番組を見せられました。講師の面白い語り口に引き込まれて、総集編を最初から最後まで見てしまいました。
この番組には俳優の武田真治さんが出演していて、みごとな筋トレ(?)を披露しているんですが、その武田さんが自分と年齢が1つしか違わないということを知ったのが、2020年のマイびっくり第1号でしたね。いや~、まだまだぶくぶく太っている場合ではありませんね。大いに反省しました。
筋肉は、鍛えた人のものだけが発達します。こんなことは当たり前ですね。では知能は?これも、頭を鍛えた人のものだけが発達します。これも当たり前ですね。しかし、これが実際に自分の子どものこととなると、とたんに分からなくなってしまう親御さんがいるというのが現実だったりします。
国語道場は個別指導塾ですから当然個々のお子さんの理解度に合わせた指導を行っていますが、基本的に考えさせる授業を行います。「考えさせる授業」とは、例えば生徒が問題が分からないと質問してきたときに、その解き方を「分かりやすく」ただ説明するのではなく、その子がどこまで分かっているのか、何を勘違いしているのかなどを探り、今の力では独力で気づけない部分についてだけ明白なヒントを与えて方向性を示し、極力自力で正答にたどり着けるように導いていくというものです。
あえて言うと、少々回りくどいやり方をとっています。なぜか。それは生徒の頭に「負荷」をかけるためです。筋トレなら、鍛えたい筋肉に文字通り負荷をかけることで強くしていきますが、脳みそは考えるという「負荷」がかかることで賢くなるのです。
国語道場のこのような教え方が、子どもの脳みそを甘やかして「分かりやすく」「手取り足取り」教えることをモットーとしているチェーン個別指導塾から移ってきたばかりのお子さんからすると、「分からない」ということになることがあるようです。私に言わせれば、脳みそが甘やかされて「ぜい肉でブヨブヨ」になっているようなものでしょうから、ちょっとの「負荷」もきついと感じ、わずかな「高さ」も乗り越えるのが大変だという状態になっているんですよ。
親御さんには、「分かりやすい」ということは注意が必要だということを心していただきたいと思います。
勉強に対してまだ十分に向上心が育っていないお子さんにとって「分かりやすい」というのは、実際のところ脳みそにかかる「負荷」が小さいというだけのことだったりします。その説明を聞いているとき、本人は自分の脳みそをほとんど使わずに分かった気になっています。分かったつもり、勉強したつもりになっていても、改めて確認してみると頭の中は空っぽ。「いや、自分で説明はできないです」なんて状況であることがほとんどでしょう。こういう「分かりやすい」については、私はほとんど価値を認めません。
一方で、数学の難問に取り組んでいて、どうしてもそのとっかかりどころが分からないと苦悶している生徒がいるとします。その生徒はその難問を何とか克服したいという向上心を持っていますから、その子にとって分かりやすいということは、その成長につながる意味のあるものと言えるでしょう。
ちょっとよく考えないとすぐには答えが出ないような問題に対して、「難しい!」と取り組みに前向きでなくなってしまうお子さんは少なくありません。そういうお子さんには、すぐにできるものは「善」で、すぐにできないものは「悪」という価値基準が備わっているところがあるように思います。そのような価値基準を持っている人からすると、「分かりやすい」=「善」で、「分かりにくい」=「悪」ということに単純に判断されるのでしょうけれども、ちょっと待てよ、もうちょっとまともにものを考えてみようよと言えるくらいの分別を大人は持っていたいものです。
宮崎駿監督の言うように、「大切なことはたいてい面倒くさい」ということは、勉強においては100%当てはまります。
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