「変人」が世を救う
連日、塾生とご新規の方の面談を5~6件承っております。ほんとうに皆様、ご多用のところご足労くださりありがとうございます。さらに地域の中学校の定期テストが近いということで授業にも入っておりまして、ブログの方は更新が滞っておりましたm(_ _)m
そんな多忙の合間を縫って、日本橋まで映画を見に行ってきました。
「機動戦士ガンダム THE ORIGIN II 哀しみのアルテイシア」。写真は入場者プレゼントのミニ色紙。13日(金)までの限定公開なので、今行くしかなかった。
シャア・アズナブルのような目的のためには手段を選ばないような人間がいかにして形成されたか、同じような境遇にありながらセイラ・マスとはどうしてかけ離れた性格を持つに至ったかとか、しっかり描かれています。面白い映画です。
今年は年末に「STAR WARS」エピソード7もあるので、なかなか大変だ(^_^)/
映画というと、上映前に予告編が何本か流れますが、その中に「杉原千畝」(←リンク先は動画が自動再生されます)というのがありました。
私恥ずかしながら、この人物を20歳を過ぎて、モスクワ留学中に初めて知りました。
旧ソ連を形成していた共和国の一つにリトアニアという国がありますが、その首都のビリニュスに「スギハラ通り」という街区があると聞いて驚いたことを思い出します。
「スギハラ?リトアニアで何かした人かね?」
「なんでも、第2次世界大戦初期に、たくさんのユダヤ人難民に、日本の通過ビザを外務省の命令を無視して発給し続けて、ヨーロッパ脱出を助けた外交官らしいよ」
「ほ~、そんな偉い人間がいたのかね。日本じゃ聞いたことがなかったね」
私達が日本で彼のことを聞いたことがなかったのも当然で、終戦後帰国した杉原氏は件の「命令無視」によって嫌がらせを受け、外務省を追われていたんですな。それでまたぞろ我が国民の悪いクセで、ガイアツ、つまりイスラエルの彼を知る人々、ドイツのジャーナリストなどから、彼のような人物が顕彰されないのはおかしいのではないかという声が高まり、ようやく1980年代になって広く知られるようになったということのようです。
日本政府による杉原氏の名誉回復が発表されたのは西暦2000年・・・。
最近日本国も国際的な威信が低下してきて、過去の偉人を持ち上げてその気持を慰撫したいという感情があるのかもしれませんが、まずは我々日本人は杉原氏を一度葬り去ろうとしたということも忘れてはならんでしょうね。
ということで、道場の本棚に、杉原千畝氏の伝記漫画を追加しておきました。みんな読んでね。
ま~、なんでもなかなかの「変人」ですな。あ、「変人」というのは褒め言葉です。
学生時代、メモがすぐに取れるように学帽からインク壺とペンをぶら下げていたなんてエピソードが載っています。こういう「合理的」に変な行動を取る人物は大好きですね。
ロシア語を選択するというのもね、一癖も二癖もある人物に違いありませんよ。ロシア語なんかをやるという時点で、それはもう「なにか」持っていますね。ロシア語を専門で勉強していた人間として、勝手に親近感を覚えてしまいます^^;
国語道場の話しに戻りますが、本当に「変人」の多い塾だなと。私も変わってますが、言っちゃなんですが、講師も「変人」、子どもたちも・・・もう「個性的」ですね(ちょっと遠慮しました)。そのことを誇りに思っています。みんなには、最期まで自己自身として生きていって欲しいと願っています。
杉原氏が、本省の命令を無視してどうしてビザを発給する決断をしたのか。それは、彼が四角四面で杓子定規の優等生ではなくて、「変人」だったからでしょう。
「変人」がかような偉業を成し得たとしますと、「変人」とは何か。それを考えてみる価値もありましょう。
「変人」とは、事実を事実としてみることができる人です。そして、事実から自分が正しいと思える考えを導き出せる人です。それは一見常識はずれのようだけれども、説得力があって人を動かすことができる考えで、それを述べることができ、またそれにもとづいて行動できる人です。
国語力のある人だと言ってもいいかもしれませんね。
最後に、ロシアつながりで、ドストエフスキーの最後の小説、「カラマーゾフの兄弟」のまえがき(「作者より」)に書かれていることを超訳しておきます。
「変人にこそ時に神髄が宿っているのであって、フツーの人々はそこからどういうわけか一時的に吹きはがされているってこともあるよ」
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