2017年08月12日 14:34

「教えてもらえればできるようになる」なんて考える人が伸びない理由

 4月から高専の寮生活に入っていた息子が、夏休みになって帰省してきた。

 全国の国立高専の年間予定は国立大学と同様で、8月頭まで前期期末試験があって、今くらいの時期から9月いっぱいが夏休みになる。

 前期の成績は寮のグループで2番だったそうだ。「まあ、待ちモードのやつはダメだよね」などといっぱしの口をきいている。

 子どもが高校くらいの年齢で、ほどほど親子離れて生活するというのは良いものだと最近つくづく思う。

 子どもがこの年代になると、親の教育力も限界になってくる。親なんて、ものを知っているつもりでも、個人の経験で把握できる範囲などたかが知れているからだ。

 高専の寮生の親御さんでも、なかなか子離れできない人をちらほら見かけたが、勿体ないことだと思う。日本のような甘ったるい環境にいるとなかなか難しいのかもしれないが、10代後半といったら、本来は自分の生き方を自分であれこれ考えていかなければいけない年ごろだ。

 プロの音楽家やスポーツ選手、将棋指しなんかならとっくに頭角を示し始めていなければいけない頃。それはそういう才能のある人だからと思われるかもしれないが、、そうでない我々凡人は、なおのこと自分の食っていく道を考えまくらなければいけないのではないだろうか。

 もはや親ごときにできることなどそうそうない。子どもが、自分の生き方を模索する人であることを願うしかない。子どもが自分自身を育てられるようにしていくことが大切だ。

 親以外の生き方を知っている人やいろいろな環境で育ってきた友人に囲まれた環境に子どもを放り込んでみる。そういうことができるということで、子に寮生活をさせたことはよかったと思っている。

 息子が、「待ちモードのやつはダメだ」と言うのを聞いて、改めて思ったのだが、やっぱり自分のアタマを使わずに「教えてください」状態の子どもは、成績が上がりようがない。テレビで世界陸上を見てその解説を聞くだけで、サニブラウンと同じくらい速く走れるようになるのと同じくらいない。

 速く走るようになるためには、理論も大事だが、実際そのように何度も自分で体を動かす必要があるだろう。勉強だって同じで、やり方を教えてもらったところで、自分自身が頭を使って手を動かさなければできるようになどなるわけがない。

 成績が目に見えて上がるくらいになるためには、それまで慣れ親しんだ我流のやり方そのものを変えなければいけない時だってざらにある。

 なんだかこの間も、「自分は(数学の)式を書くのは、面倒なんで嫌いなんです」などと平然と言い放つ生徒がいて一瞬唖然としてしまった。んなもん(´・ω・`)知らんがな・・・

 こんな感じで、子どもたちがそれまで当たり前だと思い込んでいた癖、習慣を変えさせなければいけないところが、成績を上げさせるための指導で最も肝要で難しいところなんである。

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