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「あなたがもし奴隷だったら」という本を購入しました。千葉聖心高校の学校説明会に行ったとき、図書室の目立つところにあったのを読んだのですが、挿絵と文章の力に圧倒され、ぜひ子どもたちにも読んでほしいと思いました。
国語道場では、教室に早くやってきたり、授業後保護者の方のお迎えを待ったりする生徒たちのための読み物をたくさん用意しています。そのコーナーに置いておきます。
この本は、ロッド・ブラウンという画家の作品を使って絵本の体裁にまとめたもののようですが、なんと言ってもその画力に惹きつけられます。しかし、本文を書いているジュリアス・レスターという作家の、奴隷になるということについて読者に想像力を働かせてほしいと呼びかける文章がまたいいですね。こういうことが真の意味での読解力につながるものなのであって、そのことを子どもたちに感じ取ってもらえたらと思います。
上段の者の糞尿がわたしの上に落ち、私の糞尿が下の段にいる者の上に落ちた。立ち込める悪臭は憎しみのようにドロドロしていた。
この怒りを感ずるためには、黒人でなくとも、祖先がアフリカ人でなくともよい。「こんなことが自分に起こったら?」と想像してみるだけで足りるのだ。
「うちの子は読解力がない」というご相談を承ることがよくあります。残念なことに、「読解力」ということを学校の勉強や受験を切り抜けるためのものと思っていらっしゃる方が少なくありません。
本当の読解力は、もっと人間が生きることに関わるものです。それは、書かれていることを客観的にとらえ、その事実をわが身に引き付けて自分の経験や見聞に照らし合わせ、物事を深く考えたり決断したりすることができるようになる力です。
この、書かれていることを客観的にとらえ、我がこととして考えることができる力が想像力です。上記のように、想像力は読解力の中核的部分をなしていますから、当然読解力とたいへん密接にかかわっています。
小学校の国語の授業で、物語の続きを考えてみようというものがあるそうです。例えば、「ごんぎつね」はこの後どうなったかを子どもたちに考えさせるようなものです。
うーん(゜-゜)
絶対にダメとは言いませんが、ほとんど無意味ということは言えるかなと思います。
私も含め、日々国語を子どもたちに指導している塾や予備校、大学などの先生たちがしばしば問題にしているのは、そもそも子どもたちが文章に何が書かれているかを正確に読み取れていないことが多いということです。
ご存じの方も多いと思いますが、大学入試で問われる国語の読解力は、まず客観的に何が書いてあるかを読み取れるかどうかというものです。文章を読んで思いついたことを自由に述べるようなことはまず求められていません。これは、受験を切り抜けるためだけの「読解力」を身につければよいということではありません。書いてある事実を正確に読み取れる力があるかどうかが、物事を深く考え、人に説得力のある言説を述べたり書いたりするうえでまずは重要だということを意味しています。
本文に書かれてもいないことについて子どもたちに勝手に空想させるようなことは、ほとんど何の意味もありません。なぜなら、上にも述べたとおり、読解力に結び付く想像力は、本文に書かれていることをわが身に引き付けて考えられる力ですから、本文に書かれてもいないことをあれこれ勝手に空想することは、読解力の向上には何の関係もないからです。
その辺をはき違えて、国語の読解問題に取り組むときに自分の勝手な空想を持ち込んでしまう生徒は、実は結構います。
「君の言っているようなことは、本文のどこに書いてあるの?」
「いえ、どこにも書いてありません。」
「はあ(´・ω・`)」
このような勝手な空想の習慣が身についてしまった生徒の思考法を修正するのは、なかなか容易なことではありません。
「こんなことが自分に起こったら?」と想像してみるだけで足りるのだ
この言葉をかみしめたいですね。テクストに書かれていることについてわが身に引き付けて考えるよう努めること。お子さんの読解力のためにも、子どもたちの生きる世界がより良いものになるようにしていくためにも。
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