2016年12月11日 23:42

この世界の片隅に

 ツイッターで話題になっていて気になっていたのですが、今日、授業後に海浜幕張のシネプレックスに見に行くことができました。NHK「おはよう日本」のサイトでも、気合の入った紹介がなされていますね。

 「泣けた」、「感動した」系の映画ではありませんね(そういう「感想」はあるかもしれませんが)。戦争ものではありますが、戦いをドラマチックにとか、英雄的にとかあるいは悲劇的に描くというものでもありません。

 主人公は、広島出身で18歳の時に呉の一家庭に嫁入りした、絵を描くことが好きで何だかぽわーんと生きている女性。時代は太平洋戦争末期。

 描かれているのはあくまで戦争の時代の市井の人々の日常。それも「普通の人々が懸命に毎日を生きていく様子」がことさらに映し出しているわけではなく、ただ生きているから生きていくさまがテンポよく描かれて行きます。

 こういうと、それでは当時の人々のありそうな話を淡々と書けばそれでいいのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。この作品の中では、当時の広島や呉の街並みや景観が調べつくされたうえで再現され、生活習慣、微妙な方言の差などデテールがていねいに表現されています。

 大戦末期の普通の人々の普通の生活を描くからこそ、これだけのリアリティの追求が不可欠であったのでしょう。派手な戦争映画であれば、むしろ細かなところがどうでもよくなるということもあるのではないでしょうか。

 登場人物のセリフや行動が、当時の人々の視点や感覚に基づいているように思われるところも面白いと思いました。

 私は、母からしばしば空襲警報と防空壕への退避の話を聞いたことがあります。空襲警報が出るようになって初めてのころはみな緊張感があるのですが、あまりひんぱんに出るようになるとそれに慣れてしまうものなのだそうです。

 この映画の中でも、空襲警報がちょうど主人公の夫や義父の出勤時間に解除され、ちょうどいい時間に終わったと言ってそのまま出勤していく場面が出てきます。

 このような背景が、解説的なナレーションや字幕などなしに、登場人物たちの言葉や行動で表現されているという描き方がいいですね。

 戦争の進展も、いちいち説明が入ることがなく、例えば呉の港に最初たくさん止まっていた航空母艦が、ある時すっかりいなくなってしまう(たぶんミッドウェー海戦で沈められてしまったのでしょう)とかいった形でほのめかされます。

 私は、最近千葉の地域の歴史について本や勉強会で学ぶことが多いのですが、地域の歴史を知ると、学校の歴史の授業などで学んだ中央の歴史が、具体的に人々の目の前にどのように現れたのかということを実感することができます。この映画における歴史上の出来事の表現は、地域史を学ぶことに通ずるリアリティを感じさせます。

 何よりも私が考えさせられたことは、人が自分自身として生きていくことの難しさです。

 主人公のすずさんという女性は、自分の生き方にこだわっているとか、社会に対して反抗的な考えを持ったり行動したりする人物では全くなく、何も考えていないのではないかと思われるほどになるがままに生きているように見える人物です。

 そのような人であっても、戦争がはじまると、絵を描いているだけで憲兵ににらまれる、空襲によって大変な目に遭ってしまう、原爆で肉親を失ってしまう等々の体験をすることになります。人が自分自身として生きるところに、外側から大変な圧力がかかって、不如意になってしまう。特別外部に対し摩擦を生むような人でないのに、です。

 これは戦争という特殊で極めて強烈な出来事が起きた時代だったからでしょうか?それはそうではないように思われました。

 塾をやっている者がこのようなことを言うのもおこがましいかもしれませんが、子どもたちは入試制度、学年順位や偏差値による他者との比較といった外部からの圧力の中生きており、その中で彼らが「成功」出来るように人間として「改良」しようとする大人たちの工作にさらされています。

 こうしたものが子どもたちの生きにくさ、自己肯定感の低さなどにも結び付いてはいないか、ということを私は、今、自問自答しています。子どもたちが自己自身として生きていけるような接し方というか、やさしさのようなものを実現していこうということでなければ、現代の我々の社会は、すずさんたちの生きた戦争中の時代のそれと質的にあまり変わらないのではないかという気がしてなりません。 

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