2015年12月13日 16:59

サンタクロースはいたほうがいい

 今年は学校の冬休みが短いため、12月は土・日も朝から開校して冬期講習を前倒しで実施しています。満席状態の時間帯も少なくなく、昨日・今日と授業とその準備で大わらわになっております。

 さて、国語道場はその前身の桜友進学会の時代から、お蔭さまでまもなく創立15周年目に入ります。

 創立以来、毎年12月25日は必ず休校日にしています。

 塾たるもの、クリスマスも正月も関係なく授業をやるんだという考え方もあるかと思いますが、私はそうは思いません。クリスマスや正月は、子どもたるもの家族と一緒に時間を過ごすべきだと思います。

 私の学生時代、まだバブル景気の余韻の残る1990年代初頭、クリスマスというとにわかカップルが大量発生して、高級レストランや高級ホテルが予約でいっぱいだったなんてことがありましたなあ。

 あまりこういう話に縁のない学生生活を送っていた私、クリスマスなんて爆発しろヽ(`Д´)ノという若者でございました。

 しかし、いざ自分が子どもを持ち、クリスマスは楽しいものですね。

 いずれにしましても、子どもたちはクリスマスはふらふら外出していないで、家族と過ごしましょう。彼氏・彼女のいる皆さんは、「二人でクリスマスを過ごす」とか訳のわからないことを言ってない。クリスマスはそういう日ではありません。ちゃんとその人を家族に紹介して、家族と一緒に過ごしましょう。

 ところでもうみなさんはクリスマスのご用意はお済みですか?あまりギリギリになると、アマゾンさんも配送能力には限界がありますから、お手続きはお早めに。

 それでもって、「サンタクロース」をちゃんとやっていますか?

 人それぞれかとは思いますけれども、私から見ると、せっかくお子さんもいて、「サンタクロース」をやらないというのは、非常にもったいないなあという気がして仕方がありません。こんな面白いものを・・・。

 うちは上の子ももう中学生で、さすがにもうサンタクロースは信じていませんが、小さかった頃のクリスマスの朝のこと。休みの日というといつも朝寝坊の彼が、かなり朝早くから目が覚めているのだけれども、なんとなくまだ起きてはいけないような気がしたのか、布団の中で数時間も我慢。でもついに我慢しきれなくなって、朝の7時ころ、「もう起きてもいい?」と寝床で私たち両親に聞いてきたことがあります。「いいよ」と母親から言われると、一目散にクリスマスツリーのもとに駆け出して、プレゼントが置かれていることを確認すると、また駆け足で私達の寝床に戻ってきて、「パパ、サンタさん来てた!」と興奮して叫んだことを思い出します。

 ちなみに我が家では、サンタクロースは次のように説明されています。

 なにぶん私は大学時代ロシア語・ロシア文学を主に勉強しておりましたので、キリスト教というとどちらかと言うと東方の教会の方が心情的に近い。それで、サンタクロースというのは、もともとこの人だったという説を支持し、子どもたちに教えています。

 ミュラの聖ニコライという人ですね。絵は、ロシアの画家イリヤ・レーピンのものです。

 それで、もともとはこの人がサンタクロースだったんだけれども、今やクリスマス行事も全世界的なものになっているので、「サンタクロース」も大きな組織になっているんだよと説明しております。

 「サンタクロース」の組織の本部は、フィンランドの北極圏にあり、プレゼントの注文メールは親がここに送ることになっているとしています。

 クリスマスが全世界的な行事なら、プレゼントの受注・配達、また「よい子」かどうかの判定などの業務も膨大です。そういうわけで、現在「サンタクロース」という人(スタッフ)は世界中にたくさんいて、今はやっぱり中国人スタッフが一番多く、日本人ももちろんいるよということにしています。

 私は、こういうリアルな設定で説明するのが好きです。まあ、いつまでこんな話に付き合ってくれるものやら。上の息子は小5くらいまで信じておりました。

 こんな荒唐無稽な話ではありますが、子どものために「サンタクロース」をやるということには、積極的な意味合いがあるとも思っております。それは、「彼岸」の感覚を持たせることができる言ったらいいでしょうか。

 「彼岸」の感覚とは、つまりこの世の目に見えている物以外にもなにか素晴らしい物があるのではないかという感覚です。

 これは何もキリスト教の天国とか、仏国土とかいうものでなくてもいいわけですが、我々が小・中・高と学ぶ科学や文芸ですね、これらのものを作った人々というのは、ほぼことごとくこの「彼岸」の感覚を持った人々なので、やはりこういう感覚を持っている子どもの方が学ぶことの飲み込みは良くなるだろうと思います。

 仏教美術やキリスト教美術なんていうものはもちろん仏や神の世界を表そうとしているものですし、西洋の音楽では、宗教音楽でなくても、「神の世界を表現する」とか「神に捧げるために書く」とか大真面目に言っている作曲家もいます。文学なんかでは、ファンタジーなんて目には見えない世界そのものですし、学生時代に私が卒論のテーマにしたドストエフスキーでも、リアリズムの作家ということになっていますが、その生々しい、時に醜悪でさえあるリアルさというのは、この世界の彼岸にある永遠性との対比において強調されている感があります。

 人文系の話ばかりではありません。この間、NHK Eテレの「サイエンスZERO」を見ていたら、我々から見える範囲の宇宙の外側にも宇宙があると考えられるという話になっていましたよ。また、よく言われることですが、宇宙はまだまだ人間にとって謎の物質やエネルギーに満ち溢れているそうです。

 こういうことが考えられる素地は、この世界や宇宙には我々の目に見えない何かがあるんじゃないかという「彼岸」の感覚だろうと思います。

 そういうわけで、まだこれから時間もありますので、今年も「サンタクロース」の準備、頑張りましょう。

—————

戻る


お問い合わせ先

国語道場(西千葉)

稲毛区緑町1丁目27-14-202
千葉市
263-0023


043-247-7115
お電話のお問い合わせは、火~土曜日の午後3時~9時
メールは24時間承っております。