ノーベル賞を取るような超一流の人が関心をもつこと
突然ですが、平氏っているじゃないですか。あの人たちってどこの出身かご存じですか?
答えは今の千葉県です。まあ、桓武天皇のご子孫なので、元をたどれば京都の人とも言えますが。
初代平高望(たいらのたかもち)が、平安時代のはじめに上総の国司に任命され、たぶん今の市原あたりに住み始めたんでしょうね。国司ですから6年とか4年の任期が終わったら通常は都に戻るんですけれども、よっぽど総州が気に入ったのか、帰らずにそのまま土着していきました。
そして彼とその子孫たちはバリバリ働いて、上総・下総に一大勢力を築いていきました。
バリバリ働くと言っても古代の産業は農業しかありませんから、農地を切り開いていったということです。どうして頑張って農地を切り開いていったかというと、それは皆さまおなじみの「墾田永年私財法」があったからです。
「平将門の乱」はご存じですね。あれはどこで起きましたか?最終的には北関東一体にまで広がった騒乱ですが、彼の根拠地は下総でした。
「下総」といっても現在の茨城県南西部ではありますが。古代、下総と常陸の国境は、先日大氾濫を起こした鬼怒川に並行する小貝川でした。
平氏というと、学校で習う歴史で出てくる大人物は平清盛です。ここだけ見ていると、平氏は京都の人たちのように見えますが、清盛たちの一家も、元をたどると房総で発展した平氏の子孫の一流です。
そういうわけで、私はしばしば「千葉は平氏のゆりかご」なんて言い方をするんですけれども、子どもたちにも大人の方にもあまり興味を持っていただけないのが残念ですね。
なんて思っていたら、最近学校で配られた千葉市教育委員会発行の「教育だよりちば」にこんな記事があるではないですか!
千葉常胤!
いいですね。そういえば熊谷市長も、千葉氏の歴史を伝えることで地域アイデンティティーを確立するなんてことを言っていましたんで、そういう流れなんでしょうかね。大変素晴らしい。
ちなみにですが、千葉常胤は自分のことを「千葉」と名乗ったことはなかったと考えられています。ではなんと名乗っていたか。
それは、平常胤(たいらのつねたね)でした。千葉氏は房総平氏の一つの流れです。常胤の根拠地が千葉で、彼の子孫がそこから千葉という苗字を名乗るようになったため、さかのぼって彼も「千葉常胤」と呼ばれるようになったのです。
現市長のリーダーシップのもと、地域の歴史や文化を知ろうという動きが、ここ千葉市でもさかんになることに期待しています。
さてさて、今朝の千葉日報の社会面にこんな記事がありました。
一昨日、ノーベル医学・生理学賞を受賞が決定した大村智氏についての記事なんですが、彼は館山にゆかりのある方なんですね。
房州館山は、地域おこしにつながる歴史研究と紹介が盛んなところで、私も去年の1月に、講師のともこ先生とあやね先生とともに、「館山まるごと博物館バスツアー」という素晴らしい企画にに参加したことがあります。その時の記事はこちら。
大村氏は、新婚旅行で館山を訪れるなど同地と縁があって、大変な美術の愛好家。そういうこともあって、「海の幸」などで有名な画家の青木繁が館山を訪問した際に滞在した小谷家住宅の保存活動を行うNPOの理事長を務め、さらにふるさと納税で300万円を同市に寄付したのだそうです。
私も、上のツアーで小谷家には訪問した折、参加者一同家の中にまで上げていただいて、当主の方のお話まで聞かせていただいたことがあったので、大村氏こそがあの住居の保存活動の中心人物であったのかということを知って、ちょっと感激してしまいました。
それから、やはりノーベル賞を取るような超一流の人物は、こうした地域の歴史や文化というものに当然のように関心を持っているものなのだなということを改めて認識しました。
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