2019年01月04日 19:10

ボヘミアン・ラプソディーと読解力

 正月休みの最後にイオンシネマ幕張新都心に、話題の映画「ボヘミアン・ラプソディー」を家族で見に行きました。

 子どもの頃に見に行った「スター・ウォーズ」や「E.T.」なんて、歌舞伎座のステージみたいにでかい映画館で見た記憶がありますが、最近は映画館で映画を見ると言っても、小さなスクリーンが多くなりましたよね。でも、「ボヘミアン」は、イオンシネマの中ではけっこう大きいスクリーンで上映されていました。人気があるんですね。

 このブログをよくご覧になっている奇特な方々には意外に思われるかもしれませんね。「へぇ、塾長、Queenお好きなんですか?」なんて感じで。

 いや、実はほとんど知りません。アメリカのスポーツでよく流れるやつですよね、程度の知識しかありません。クラオタなんでね(^^; 

 じゃあなんで家族を連れて見に行ったのかというと、小田嶋隆さんのコラムがあまりにすばらしく、映画に興味を覚えたからなのでした。どうも世の中にうまく適応できない感じを抱いている人々の心に響いた音楽を作ってきたバンドであること、ヴォーカルのフレディ・マーキュリーという人が生きてきた前と後とでは、LGBTに対する人々の見方は世界的に大きく変わったということを知りまして、大いに関心を持ったわけです。

 さて、映画を見た時の率直な感想ですが、あまり面白いと思えませんでした(´・ω・`)

 フレディという天才的な人がいて、それがつぶれかけのバンドに入ってからは破竹の快進撃で大成功、だけど慢心からかほかのメンバーとケンカ別れしてソロデビューするも挫折、その後和解して復活、再び頂点へ・・・というストーリー展開。

 あまりにも単線的というか、少年マンガかよといった話の運び。周辺的な登場人物はただセリフを言うためだけにいて、人間としての中身がない。

 映画を見るにあたって、Queenの楽曲をいくつか聞いてみたのですが、非常に興味深い、不可思議で難解な歌詞の歌を歌っていますよね。

 映画のタイトルと同じ「ボヘミアン・ラプソディー」という歌、「ママー、僕は人を殺してしまった云々」という謎に満ちた歌詞で始まり、曲の真ん中辺では「ガリレオ、フィガロ」などといった一見とりとめのない言葉の断片がちりばめられています。私はこの辺が非常に不思議で、どうしてこんな歌を作って歌っていたのだろうというのが気になって仕方がなかったんですね。で、映画ではその辺の謎が少しは明らかにされるのかと思っていたのですが、そういうのがちっともなかった。その辺も、映画をみた後の悪い感想につながりました。

 ネットのレビューで、「とにかくすごい泣けた感動した」とか書いているような人たちって、こういうことが気にならないんですかね。まあ、軽侮の念さえ覚えながら、映画評論家の町山智浩さんの音声レビューを聞いてみました。

 いやはや、すばらしい、まさに目からうろこの謎解き解説でした。

 本当に、もう、模試で、「よし、今日は結構できたぞ」と思って帰宅して自己採点してみると、なんだ俺全然わかってなかったわということが明らかになるような経験を久しぶりにしましたね。知識があると、これほどいろいろなことが読み取れるのかと感心しきりです。

 町山さんの音声レビューは有料サービスなので、あれこれここに書いてしまうわけにはいきませんが、私なりにまとめると、この映画は、Queenの代表的な作品を紡いでいきながら、全体として彼らがなぜこのような歌を作り、歌ってきたのかということについての一つの見解を示しているということなのでしょうかね。だから個別の歌の意味がどうこうということは描かれていなくて、それぞれの歌を歌詞を含めて知っているという前提で、ちょうどある画家の一連の作品を一つのコンセプトに基づいてギャラリーに並べるような作りになっている。そしてそれがまた、フィクションではあるけれどもフレディ・マーキュリーの人生についての一つの側面を象徴するようなものになっている、ということかなと思います。

 フレディの人生の中で重要な意味を持つ言葉や出来事、ものごとが、さりげなく手短に映し出されたりほのめかされたりする形で詰め込まれているんですね。これは、一つの映画の中に音楽とドラマを盛り込まなければいけないという制約からそうなったものかもしれません。だから、私のように知識のない人間からすると、ストーリーの単純な骨組みくらいしか読み取れないということになるのでしょう。しかし、それは単に知識がないからその程度のことしか理解できないのに過ぎなくて、分かる人にはわかるようにできているようです。

 そんな感じで、一つの映画の評価が数時間で180度変わるような経験を昨日はしたわけですが、改めて、知識はものごとを読み取る力として、大事だなと痛感しました。あることを知っているかいないかで、これほど同じものを見てもその理解の深さが違ってくるのですからね。

 そんなことを考えながら、もう一方でちょっと怖いなという感覚も持ちました。この映画を見て、ただ「すごいよかった、泣けた、感動した」と言っている人たちのうちで、町山さんが語っているようなことをどれだけ理解している人がいるのでしょうか。多くは、ただなんとなくわかった気になって満足しているだけなのではないでしょうか。

 読解力ということで一番怖いことは、読み取れない人は自分が読み取れていないことを認知できないことです。大人は、「読解力のない」子どもを見て、「この子は読解力がない」などと批判するわけですが、実のところ、自分もそれほど読解力がないことを認識できていないだけの大人も、実はけっこうたくさんいるのではないでしょうか。

 私自身、映画「ボヘミアン・ラプソディー」を読み取れていなかったという経験から、恐ろしいことだな、ということを強く感じました。

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