私にとっての学びの原点~ロシア
久々に鎌ケ谷の実家に戻って書棚を漁っていたら、20年以上前のロシア留学時代に撮った写真が見つかりました。上は、セルギエフ・ポサードというモスクワ近郊の町にある至聖三者大修道院遠景。知らなかったんですが、私が訪問した1993年に世界遺産になっていたんですね。
ロシアの冬は厳しく、しかも長いです。日照時間が短いので、関東出身の人間としては、非常につらいものがありました。でも、今は外が猛烈に暑いので、ちょっと冬景色を。
場所はサンクト=ペテルブルクの冬宮広場。1917年のロシア革命(10月革命)の時は、労働者や兵士たちがこの広場になだれ込んだんですね。
私がロシアに滞在していたのは1992年から1993年。つまりソ連崩壊の翌年に留学したのです。
ロシアの学期制は2期制で、始まりは多くの欧米と国々と同様9月で、6月が学年末です。ロシアの学校に長期で留学するということは、越冬が必要ということです。
冬の厳しさは日本生まれの日本育ちの私には大変でしたが、国が滅びたあとの国民の生活の厳しさはそれ以上のものだなと痛感しました。
国の産業が崩壊しているので、生活必需品は輸入に頼らざるを得なくなります。しかし、国家が滅亡するということは、経済の国際的信用がなくなるということですから、通貨ルーブリは外貨に対して暴落し、恐ろしいインフレが発生します。3日経てば商店の商品の金額が上がっていくというインフレを目の当たりにしました。
ロシア文学がお好きな方でしたら、ロシアの通貨はルーブリで、調整単位(日本の銭に当たるもの)としてコペイカがあるというのをご存じの方もいらっしゃるでしょう。そのコペイカが消滅したのが1992~93年でした。
私が初めて訪れた1992年8月には、1ルーブリの100分の1の価値であるコペイカが存在したのに、10か月後の93年5月ころには、最高額紙幣として5万ルーブリ札が発行されていました。
インフレでお金が日に日に紙くず同然になっていっても、庶民の給料がそれに合わせて増えていくわけではありません。ちゃんとした仕事を持った人々であっても、生活のためのお金が足りないので、家にあるものを売るために、地下鉄駅の出口に何百メートルも列を作っていました。
老人や戦争で手足を失った障害者たちは、年金支給が打ち切られ、街頭にうずくまって物乞いをするしかありません。厳冬の町中で野垂れ死ぬホームレスに出会ったこともありました。
最近ロシアについての統計を読んだのですが、私が滞在した1993年のロシアの自殺者数は、57,000人を超えていたそうです。
国が滅びるとはこういうことなんです。
それから20年以上が経って、2014年時点でロシアの名目GDPは世界第9位。昨年は冬季オリンピックで2018年にはFIFAサッカーワールドカップ開催国。今年5月の対ナチスドイツ戦勝記念パレードなんかを見ても、もはや大国としての自信を完全に取り戻したと言っていいでしょう。
日本にはロシアが嫌いという人も少なくないのかもしれませんが、ロシアの音楽や文学を愛し、ソ連崩壊直後の国民の様子を知る者としては、大変感慨深いものがあります。
同時期に留学していた学生たちです。東洋人は韓国人、中国人、ほか米国人、トルコ人、フランス人だったかな?
それにしても、この頃は日韓、日中がこんなに仲悪くなるとは思いませんでしたねえ。
一緒の学校で学べば同じ若者たちですからね。何人であろうと親しくなるものですし、何人であろうとみんなただの人です。
「個人的に知っている友人もいないのに、『中国人は・・・』とか『韓国人は・・・』とか言ってるような奴らは信用するな。」というのが私の考えで、道場の子どもたちにも詰まらん先入見をもってチャンスを失うようなことをするなと教えています。
当時のことを思い返しても、やっぱり中国人はすごかったですね。基本的にそれぞれ強烈な個人主義で、ものすごく熱心に勉強する奴もいるかと思えば、ロシア語をちょっと話せるようになったら学校へは来なくなり、とっととそのへんで商売を始めるような奴がいたりとか、とにかく無目的でとりあえずお勉強をしましょうなんていうのはほとんどいませんでしたね。
20年以上前の時点で、私はこりゃ中国人には敵わんわと直感したもんです。現にそのとおりになりつつありますけどね。
こうしたいろいろな国からやってきた学生たちと一緒に勉強して、学ぶ意味ということを改めて考えなおすきっかけになったのもロシア留学時代です。
面談などでよくお話することなんですが、海外留学までして、「将来何になりたいのか」という問いに答えられない国民なんて、本当に日本人くらいのもんですよ。
「将来何になりたいか」という問いに対して、当時の私も一日本人として「まだ分かりません」と答えたことがあります。そんな私に対し、「将来何になるか分からないのは当たり前です。君は今何を目指しているかを聞いているんです」と言ってくれたロシア人の教師が思い出されます。
道場でもそうなんですが、中学生の多くが、将来何になりたいどころかそれ以前の問題、中3になってもどこ高校を受けたいかも明言できないなんて当たり前になっちゃっているじゃないですか。挙句の果てに、親御さんが「まだ早いので決まっていないようです」なんて口出ししちゃったりして。
これじゃいかんのですよ、多分。子どもたち一人ひとりにとって、学生・生徒として学ぶことができる時間の短さを思うと、将来何をやって食っていくかという問題はもっと切実に考えられるべきです。
これからも、道場の子どもたちには、私のこの「なんのために学ぶのか」という問いに対する痛切な思いを伝えていきたいなと思っています。
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