2020年01月21日 11:19

国語道場についてのカン違い

 2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公の明智光秀役の長谷川博已さんのインタビューをテレビで見ました。明智光秀の役作りについて「本能寺」から逆算しないでくれと、脚本家から言われているとのことでした。面白いアプローチだなと思います。

 私は、職業柄、子育て論の本や記事をよく読みます。これらの多くは、理想の姿から逆算する話が多いように思います。つまり、将来子どもがこんな風になってほしいなら、小さいうちから子どもにこういうことをやらせていくとうまくいく(はずだ)ということが書かれているということです。

 「現役東大生に聞く、子どものときの習い事」とか「東大生が子どものときに読んでいた本」とか。それで、じゃあそれと同じようなことを自分の子どもにもやらせていけば、成功間違いなしということになりそうです。

 ところが現実にはなかなかそうはいかない。書かれている通りにやっているつもりなんだけれども結果が思わしくないとか、そもそも書かれている通りのこともなかなか同じようには実行できないというのが現実でしょう。

 そういう状況で期待されるのが「カリスマ教師」なのかなあと思います。この現状を打破する「秘密兵器」みたいなものに期待してしまう心理は分からないではないです。旧日本軍の「特攻」とか、ナチス=ドイツ軍の「復讐兵器」みたいなもんでしょう。そういう「一発逆転」への期待を見事にキャッチコピーにしたのが、スクールIEさんの「やる気スイッチ」ってやつですね。しかし、マーケティングとしてそのような需要にこたえるべく、自称カリスマ教師が「私がお子さんを変えます」みたいなことを言うのは勝手ですけれども、まあ、どうなんでしょうね(^^)

 まれに、国語道場の私に対してそのような期待を抱かれてます?みたいな方がいて、いささか狼狽することがあります。「先生のお力で何とかうちの子を・・・」といった感じ。なんだかなあと思ってしまいます。

 私はただ、文章は人に説明できるくらい理解するまでちゃんと読めとか、記述式解答は本文を読んでいない人が見てもどういうことが書いてあったか分かるように書けとか、当たり前のことを教えているだけです。ちゃんとした頭の使い方、人に伝わる解答の書き方を、一人一人に合わせてくどくどくどくど説いているだけです。お子さんを改良するようなことは一切やらないし、そのようなことはむしろやるべきではないとさえ思っています。

 杉をヒノキにすることは不可能だし、そのようなことをあえて試みるのは大変危険なことです。梅を桜にする必要などないし、竹は竹として育てばよいのです。ウドなら、それこそウドの大木になればよいではないですか。それが健全な成長というものです。それが気に入るか気に入らないかは、木の問題ではなくこちらの心の問題です。

 あくまでお子さんの現状からスタートして、その個性を尊重して成長を応援するのが国語道場の指導の在り方です。

 お子さんの「ダメなところ」をあげつらって否定したり、他人と比較して「劣っている」ことを示すなどということは論外。そんなことはやらずにまずはお子さんの現状を受け入れるところから始まります。

 そこから一人一人に合ったレベルの教材を与え、正しい学習法で勉強し続けるよう指導していけばよいのです。そうする限り語彙力の向上、基礎学力の伸長は間違いなく実現されると請け合います。

 その結果が親御さんのお気に召さないということはあるかもしれません。しかし、それはおあいにく様ということで。お子さん自身が自分なりに努力して成長することを体験していくことで、お子さんがその後の人生を自己自身として前向きに生き、その中で様々な知識や技術を進んで学ぶような人間になってくれればよいと思っています。

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