2019年03月06日 20:29

子どもが文章を読まないのは、むしろ自然のことである

 今日は塾生の学習・進路指導のほかに、ご新規の方のご相談、ご入塾の手続きと6件の面談を実施しました。そのほか中学生の国語の授業が2コマあり、相変わらず多忙に走り回っております。

 多忙な中でも塾生を導くためのヒントとなる情報集めは欠かすことはできませんので、寸暇を惜しんで本を読みます。最近読んだ本の中で、考えさせられる記述に出会ったので紹介します。

 読んでいた本は、『もっと言ってはいけない』/橘玲 著/新潮選書です。この本の中で、次のようなくだりがありました。

近年の脳科学は、無意識も知能を持っており、それはある領域では意識(論理的思考能力)を超えることを明らかにしつつある・・・

・・・複雑で危険な環境で生き延び、より多くの子孫を残すためには、脳は世界を正確に評価し、瞬時に決断しなければならない。だが私たちの意識はほとんどの場合、どれがいちばんよい選択かを見つけ出すにはあまりにも遅すぎる。進化論的に言うならば、私たちのこころは、面倒なことを無意識に任せることでもっとも効率的に働くよう設計されているのだ。

強調は引用者

 この本自体は、近年の遺伝学などの知見をたくさん紹介し、文明のあり方について解いている本なので、上に引用した部分はどちらかというと枝葉にあたるところではあります。しかし、子どもと国語力を考えるうえで、非常に重要なことを示唆しているように思います。

 要するに、人間はそもそも文章なぞをじっくり読むようにはできていないということです。

 たくさんの保護者の方とお話をさせていただく中で、お子さんが本を読まない、問題文をちゃんと読まないでケアレスミスを繰り返しているなどといったご相談をお聞きします。しかし、上のことを踏まえると、本来人間は文章を精読して何が書かれているかよく考えるようにはできていないのだから、お子さんがそのような状態であっても驚くことではないということが分かります。

 これは考えてみれば当たり前です。人類の歴史の中で、現代のようにあらゆる人がちゃんと勉強をしなければならなくなった時代はせいぜい数百年しかなく、それ以前は支配階級の人たちだけが学問のようなことをしていただけで、さらに原始時代をも含む数万年まで考えると、およそ文章を読むなどということは全く必要のない行為でした。人類にとって、生きていくためには文章を読むことよりも状況を「読む」ことの方が重要でした。何となく危なそうな感じがしたら一も二もなく逃げ出したほうがよく、何か食べ物がありそうな気がしたらとにかくそっちに行ってみるようにした方が生き残れる可能性が高まります。こんな感じで、人類進化の歩みの中で、文章を読むことが必要となった時代のは極めて例外的で、ほとんどは直感的に状況を「読む」力の方が重要だったわけです。だから人間には、場合によっては論理的思考力をも超える無意識的な「知能」が備わっているということです。

 このように、お子さんが本を読まない、問題集やテストで文章や設問をきちんと読まないのは、人類史の中で考えれば、それはむしろ自然なことであるといえるでしょう。

 それでは、本を読んだり問題集やテストの問題文をちゃんと読むようにするにはどうしたらよいか。そのためには後天的に教育する必要があるということが明らかになるでしょう。大人は、子どもたちに本を読むように仕向けたり、問題集やテストの文章を丁寧に読むような習慣をつけさせるために、相当の努力を払ってしつけなければならないということです。

 こうしてみると、国語道場が西千葉地区で独占的に提供している読書指導「ことばの学校」がいかに優れた教材であるかが分かります。

 300冊もの良書を朗読音声を聞きながら多読することで、内容をきちんと理解しながら読むとか、活字をしっかりと追うといった、文章を読む上での基本的な姿勢を効果的にしつけることができるからです。

 読書指導「ことばの学校」の無料体験授業は随時行っております。お気軽に国語道場までお問合せください。

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