子どもの国語力の土台を作るのは、親の物語
読書指導「ことばの学校」本部のツイートで、すばらしい塾さんのブログ記事が紹介されていました。進学塾そいるという京都に3月開講する塾さんだそうです。
記事の中で塾長先生の国語力が培われた歴史が語られているんですが、あれあれなんだか読んでいて私国語道場の塾長と似たところのある方だなと思ってしまうところが多々ありました。
まず、子ども時代本はあまり読んでいなかったが、小学・中学時代に国語で困ったことはなかったというところ。それから、読書経験が薄かったので一旦高校で現代文で挫折したが、読解法を習得して一気に大得意になったというところです。
「ことばの学校」なんていってお子さん方に猛烈に読書を進めていながら、実は私子ども時代はほとんど本を読んできませんでした。私の両親は伝記でも文学全集でも一通り買い揃えてくれる親だったんですが、子ども時代の私は、それらの本を読んだほうがいいんだろうなあと思いながらも、その背表紙を眺めてため息をついているような少年でした。
読書なんていえるような本の読み方をするようになったのは、高校を卒業して今は亡き代々木ゼミナール津田沼校に通うにようになってからですね。漱石にハマりまして、それ以来岩波文庫を書棚にちょっとずつそろえていくのが楽しみになりました。
このように、私は大人が読むべき本はそれなりに読んできたつもりではあるのですが、子どもが子ども時代に読むべき本は私の中ではすっぽり抜けてしまっているんですね。そのことが少々コンプレックスだったりします(^^;
で、自分の子どもには子供時代に読むべき子どもの本をしっかり読んでほしいと思って自分の塾に導入したのが読書指導「ことばの学校」だったんですが、いややっぱり本をたくさん読むというのはいいですね。うちの上の息子の学力も伸びましたし、なんといっても優しくて面白い若者に育っているのがいいですね。だから、私「ことばの学校」は心から地域のお子さん方みんなに勧めたいと思っているんですよ。
さて、子ども時代の本を読んでこなかった私ですが、昔から千葉県人でして、昭和の末期の今時分に県立高校入試を受けました。で、実は国語は100点だったんですね。ま、当時は今のように記述問題も少なかったので、100点だったよという人は他にもたくさんいらっしゃるとは思いますが、とにかく、小学校・中学校で国語という教科で困ったことは一度もありませんでした。
そうなってくると、逆になんで私は国語ができたんだということが不思議に思われるんですね。
そこで上に紹介したそいるの塾長先生の記事なんですけれども、なるほど読書意外にも子ども時代の周囲の大人という要因は非常に大きいなということに思い当たりました。
私の場合は3つほど思い当たりますね。すべて親要因です。
一つは、通販家具の組み立てをよく母に頼まれていたことです。
私の母は、自分でも「病気」というくらい、テレビショッピングが好きなんですね。今もショップチャンネルでちょっと変わった新商品が宣伝されているなと思って実家に遊びに行ってみると、たいてい買ってありますね。それで、洋服の収納とか洋服掛けとか、組み立て家具ってあるじゃないですか。ああいうのもすぐに注文しちゃうわけです。だけど自分では組み立てられないので、小学校の高学年くらいからは私が作らされることになっていました。
当時は面倒くさくて仕方なかったんですが、今考えてみるとこれはなかなかいいですね。まず、作り方の紙を解読しなければなりません。たいてい図解付きなんですが、結構難しいものもあるんですよ。似たような部品とか、くっつける向きとか、どう考えてもよく分からないことがよくある。
まあいいやと思って適当に作っていくと、間違ったネジを使っていて部品が足りなくなるとか、つける向きが逆になっているとか、このままでは完成できないことに途中で気が付くわけです。もうそうなると、また最初からやり直しなんてこともよくありました。
これは脳のいろいろなところを使いながら文章を読みますから、今考えるととてもよかったんじゃないかと思いますね。
二つ目は父の素語りです。
素語りってご存じですか。何もなしでお話を語ることなんですが、私の父はこれが天才的に上手なんですよね。私の父のは、桃太郎とか浦島太郎とか決まった話をするのではなくて、即興で子どもが喜ぶような滑稽な話や、ちょっと悲しい話などをするものなんですが、よくもまあこんなにいろいろな楽しい話が後から後からできるものだと子ども心に驚いたものです。
父は夜寝るときに私を寝床に読んで話をしてくれました。子ども時代の私はいつもこれが楽しみでした。1階では母が夕食の片付けをする音が聞こえる中、寝室の暗闇の中で父のお話の情景を思い浮かべました。今思うと、このおかげでお話からイメージを想像する力が、自然と養われていたのかなと思います。
そして三つ目が母の故郷の話です。
私の母は日本帝国時代の植民地だった台湾で生まれ、戦後親の実家がある熊本に移り住みました。その熊本の生活の話が、高度成長も終わった南関東で生まれ育った私には、おとぎ話のように思われたものです。
熊本の家では鶏をたくさん飼っていたので毎日卵が食べられたこと(戦後間もないころ卵は大変貴重だった)、山羊を飼っていてその乳を飲まされたのだが、母はそれが嫌いで仕方なかったこと、飼っていた豚が大きくなったが屠殺できないので人に頼んで絞めてもらって肉を売ったこと、年に1回集落の人たちと裏山でウサギ狩りをして、毛皮と取ったり肉でウサギご飯を作って食べたこと、兄がかわいがっていた犬が近所のおじさん達に食べられてかわいそうだったこと、川で泳ぐのが好きで、大雨の後に増水した川の急流に乗って川下の村まで泳ぐのが面白かったこと、癌で療養していた母(私の祖母)のために2番目の兄が川でウナギを取ってきたことなどなど・・・。
こうした話を繰り返し繰り返し私にたくさんしてくれましたね。こういった親の物語が、私の国語力の土台を作ってくれていたんじゃないか。そいるの塾長先生の記事から、こんなことを改めて考えました。
そんなわけで、皆さんにもお子さん方に「勉強しなさい」とか「早くしなさい」とかばっかりではなくて、自分の子どもの頃のことでも何でもたくさん語ってあげてほしいと思います。
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