子育てには「魔法」が必要
小5の娘が、「ジブリ映画の中で一番好き」ということで、昨日は一緒に「思い出のマーニー」を見ました。
見た後の感じが非常にさわやかで良い映画ですね。自己肯定感の低い少女が、最後には明るく元気になって、義母とも和解できてよかった。マーニーが、実は杏奈の実の祖母で、幼い杏奈を育てていたなんて、奇跡のような話ですね。
ジブリの映画だけど、これには魔法は出てこないのね。幻想的な場面はたくさんあったけど。監督は宮崎さんじゃないからかな。
まあ、そんな感想を抱いて、ほくほくして風呂に入りました。しかし、頭を洗っているうちに、ふつふつと疑問も湧き上がってきました。
杏奈を預かっていた大岩夫妻。彼らは杏奈の養母頼子の親戚で、マーニーがかつて住んでいたシメッチ屋敷から歩いてすぐ近所に住んでいるんだよな。じゃあ、マーニーのことや、杏奈との関わりを知らないのはおかしいんじゃないか?映画の中で、養母の頼子から大岩家に杏奈の写真がこれまでもたくさん送られてきていたと言っていたじゃないか。そうすると、頼子と大岩家は、杏奈のことについてしばしば相談する間柄だったはずだ。
それに、杏奈の「夜遊び」を一向に心配する様子がないのもいかにも変じゃないか?そもそも夜遊びをするようなところがどこにもない北海道の田舎で、杏奈は2度もずぶぬれで気を失っているところを救助されている。普通だったら、いったいどこで何をしていたのか根掘り葉掘り聞いたり、外出を禁止したりするもんじゃないのか?
あれこれ考えているうちに、思わず膝を打ちました。
「しまった。この映画には『魔法』も『魔法使い』も登場しているじゃないか!」
実は「魔法使い」がいた
「魔法使い」と私が認定するのは、お察しの通り、ずばり大岩夫妻です。
なんだそりゃ?と思われる方、よくよくこの2人が「何をしたか」に注意してください。それは、まずあることを「禁止」したことです。
それは何かというと、まず杏奈が大岩家にやってきた最初の所。車窓から見える丘の上のサイロ。夫の大岩清正は、あそこにはお化けが出ると言います。それから、初めてシメッチ屋敷に行って戻ってきた杏奈に、再び「あの屋敷には行かないほうがいい」と言います。やはりお化けが出るからだということで。
結局、本当に「お化け」がいたわけですが、このような物語における「禁止」ですね。これはもう主人公は当然のようにそれを破ることになります。イザナミに覗くなと言われたイザナギがやっぱり覗いたように、やるなといわれたことを主人公がやるのは、神代の昔から決まったことなのです。
このように、大岩夫妻はシメッチ屋敷や丘の上のサイロに行くことを「禁止」することで関心を寄せ、杏奈を「魔法」にかけました。そうして杏奈は憑りつかれたようにシメッチ屋敷に引き寄せられていくのですが、杏奈に「魔法」がかけられたことを暗示する小道具は、清正が作った目の動く木彫りのフクロウじゃないでしょうか。映画の最初の方で清正が出来上がった木彫りのフクロウを杏奈に見せて、目玉がくるくる動く不思議なシーンがありますが、この辺が「魔法」の始まり。映画のラストで、大岩家から帰る車中で杏奈の手の中に再びこの木彫りのフクロウがありました。これは「魔法」が解けたことを暗示しているように思います。
基本的に放任主義の大岩夫妻ですが、一度だけなぜか妻のセツが杏奈におせっかいを焼いています。それは、村の神社で行われる七夕祭りに、近所の子どもたちと一緒に行かせたことです。なぜこのときっだけ彼女は杏奈におせっかいを焼いたのでしょう。
思うに、屈折した杏奈が村の子どもたちとトラブルを起こすのは、セツは百も承知だったのではないでしょうか。案の定というか、村のリーダー格の娘にからかわれて暴言を吐いてしまいます。自分のコミュ障ぶりに自分自身深く傷ついた杏奈は夜のシメッチ屋敷に向かい、そこで初めてマーニーと出会うことになります。
屋敷から大岩家に戻る杏奈は、借りて着ている浴衣の裾が汚れていることを気にしています。しかし翌朝には洗濯されて汚れがなくなった浴衣が青空の下干されている場面が出てきます。何が起ころうとも何の気兼ねもなくシメッチ屋敷にマーニーに会いに行ってもよいということが暗示されているのではないでしょうか。
救われなければならない3人の魂
ところで、大岩夫妻は、そもそもなぜ杏奈をシメッチ屋敷に向かわせなければならなかったのでしょうか?
それは、苦悩する3人の魂を救済させるためでした。それは、杏奈の心の成長を通してしか実現させられないものだったからです。
3人とは誰か。まずその1人目。それは、義母の頼子です。
劇中で具体的なことはあまりよく分からないのですが、杏奈に対する愛情は深いが、過干渉になってしまうところがある人なのではないかと想像されます。しばしば「心配性」と言われているからです。自分に自信がない感じが絵にもよく描かれています。自治体から杏奈の養育費を受け取っているのですが、それを彼女に打ち明けられずにいます。そのことが親子の関係に亀裂を生むことになります。なお、杏奈の義父にあたる夫は劇中に全く出てきません。子育てにおける父親の不在がほのめかされています。
しかし、医師の勧めにしたがって、杏奈を思い切って親戚の大岩家に預ける決心をします。杏奈を迎えに来た日、セツから一度も電話をかけてこなかったことを褒められています。そして、自治体から養育費を受け取っていることを打ち明けても、そんなことで親子の絆が壊れることなどないと考えられるだけの勇気を持つことができました。
マーニーとの交流を通じて精神的に成長した杏奈にとって、頼子の告白を受け入れることはもはや何の問題もありませんでした。孤独な子育ての不安から過干渉になってしまった頼子を救済できるのは、成長した杏奈しかいなかったのです。
2人目。それは杏奈自身です。杏奈の主治医と頼子との会話から、幼少期の彼女は元気で表情豊かであったということが分かります。おそらく、頼子の「心配性」による過干渉が、次第に彼女の積極性を失わせ、周囲から「浮いた存在」にしてしまったのではないかと想像されます。
大岩家にやってきた最初のころ、彼女は自分と同年代の子どもたちを見かけると、さっと逃げて行ってしまうような子どもでした。そしてそんな自分を嫌悪する感情が非常に強い。
頼子が、自治体から自分の養育費を受け取っていることを隠していたことから、大人に対する不信感を持っています。したがって大人の言葉は杏奈を救うことができません。大岩夫妻は、自分たちが杏奈に語り掛けることで彼女を変えようなどということはしません。「魔法」によって杏奈をシメッチ屋敷に向かわせ、少女時代のマーニーに会わせるのです。少女時代のマーニーだけが、この時の杏奈と心からの交流を図ることができる存在でした。
杏奈とマーニーは、お互いの境遇を語り合います。すると、一見裕福で幸せそうなマーニーが、両親から離れて孤独な生活を送り、ばあややねえやに虐待を受けていることを知ります。こうして杏奈は自分の身の上を相対化して見ることができるようになります。そして、自分と同じように生きづらさを感じて苦しんでいるマーニーを自分が助けるのだという強固な意志を持つにいたります。そのためには、マーニーのトラウマになっているサイロにいっしょに行くことだと考え、ともに出かけて行きます。
サイロの中で杏奈はマーニーを励まし続けますが、意識がもうろうとなる中、マーニーはカズヒコという謎の少年とともに杏奈を残してサイロを立ち去ってしまいます。激怒した杏奈は、夢の中でシメッチ屋敷へと向かいます。そして全編のクライマックスとなる部分ですが、ここでマーニーはとめどなく涙を流しながら、「もうすぐさようならを言わなければいけない」と杏奈に告げます。それゆえにマーニーは杏奈を置き去りにしたことを許してほしいと懇願します。杏奈はそれを許し、ともに過ごしたことを永遠に忘れないと伝えます。
この場面が杏奈自身の魂の救済になっているというのは、肉親を次々と失い、「貰いっ子」になったことで、自分は大切な人たちから置いていかれてきたという思いを乗り越えていくところだからです。サイロから自分を置き去りにしたマーニーを許すことで、杏奈はこれまでの自らの心のわだかまりを克服しているのです。
杏奈が救わなければならなかった魂の3人目の持ち主。それはマーニーです。
映画の終盤、われわれは幼少期の杏奈を育てていた人こそ、実は杏奈の祖母であった晩年のマーニーであることを知ります。若くして夫(カズヒコ)を亡くし、実の娘とは和解することなく生き別れたマーニーは、孫の杏奈に常に寄り添って愛情を注ごうと決心します。しかし今度は自分自身の寿命が尽きてしまうのです。
上の方で、「もうすぐさようならを言わなければならない」と涙ながらに告げる場面がありましたが、これは杏奈を愛情をこめて育てようと決意しながら、彼女をこの世に残して死ななければならなかったマーニーの痛切な姿を現しています。
この世に強い後悔の念を残して死んでいったマーニーのさまよえる魂を救済できるのは何か。それは、残された杏奈自身の許しの言葉しかありません。マーニーから、その孤独な境涯を聞き、自分がマーニーを助けると強く心に誓えるまでに成長した杏奈には、それができました。
しかし、いい映画ですね。今思い出しても涙が出てきます。
改めて、「思い出のマーニー」の公式サイトを見ているのですが、この映画のキャッチは、「この世には目に見えない魔法の輪がある」だったんですね。映画の冒頭でも、杏奈が自分は「魔法の輪」の外側にいると頭の中でつぶやく場面がありますが、「魔法」はこの映画の謎解きにカギになっていることは示されています。
大岩夫妻の「魔法」、すごいなと思います。シメッチ屋敷のごく近くに住む頼子の親戚ですから、マーニーのことも杏奈とのつながりのことも知っているにきまっているわけですよ。彼らは、ただ単に環境のいいところで杏奈を放任していたのではなかったのです。しかし、頼子、杏奈自身、そしてマーニーの3つのさまよえる魂を救済するためには、杏奈本人が成長して力を得ることがどうしても必要だった。だから、「魔法」をかけた。その「魔法」とは、子どもの成長する力を信じ、子どもが自分自身の問題に向き合っていけるように導くことでした。
元気になったアンナを見て大岩夫妻に謝辞を述べる頼子に対し、「私たちは何もしていない」と答えるところが何とも心憎いですね。
義母の頼子のように、自分自身の自信のなさ、不安から子どもに過干渉になってしまいがちな私たち親としては、大いに考えさせられるものがあると思いました。映画「思い出のマーニー」は、児童文学のアニメ化作品ですが、実は親を教育しようとしているところがあるのかもしれません。
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