技術か迎合か
大人の勉強は、テストがないところがいいんですよね。テストがないということは、純粋に楽しみで取り組める。出来ても出来なくても構わないし、時間をいくらかけても構わない。
現役の中・高生には理解しがたいかもしれませんが、塾の先生たちは、数学の問題なんか本当に楽しんで解いているのですよ。さすがに、立場上「出来ても出来なくても構わない」というわけにはいきませんが。
学生・生徒時代に「苦手だった」とか「嫌いだった」とか言ってあきらめたものを大人になってから学び直すのは、なかなかお勧めです。
私は、最近プラトンの本をよく読みます。実は私、学生時代プラトンが大嫌いだったのです。当時は、現実からかけ離れた、説得力のない理屈ばかり言っているように思われたものです。
しかし、この年になって改めて読んでみると、実に示唆に富むことを言っていたのだなあということに気づきました。
『ゴルギアス~弁論術について』という本の中で、プラトンが描く哲学者ソクラテスは、人の仕事を、技術と迎合とに分類しています。
「技術」とは、人をよくする仕事で、「迎合」とは、人をよくするように見せかけて、実はそんなことは毛頭考えておらず、人に媚びているだけの仕事のことを言います。
例えば、人間の体に関する仕事としては、それをよくする技術と呼ぶに値する仕事は、医術や体育術です。それに対し、人に媚びて、その体をよくすることにならない迎合と呼ぶべき仕事は、栄養のことも何も考えず、ただ味が良いだけの料理術があげられます。
この、迎合と呼ぶべき仕事についてプラトンは、ソクラテスの口を通して、
最善ということにまるっきり考慮を払わずに、その時々の一番快いことを餌にして、無知な人々を釣り、これをすっかり欺きながら、自分こそ一番値打ちがあるものだと思わせている
と言っています。
こういうことって、教育にも大いに当てはまるなあと思いました。
塾の教育とは、最終的に子どもの学力・成績を上げることが求められているものです。そのためには、子どもの頭をよくしなければなりません。
子どもの頭をよくするためには、何をしなければいけないか。それは、子どもに頭を使わせることです。子どもにとっては大変面倒くさいことですが、それをやり切らせることこそが塾の技術=塾のあるべき仕事と言えます。
しかしながら、世には子どもを甘やかし、手取り足取り教えすぎてしまう塾、指導というよりも実際には講師が問題を全部解いて見せているだけのような塾がたくさんあります。
子どもは、講師が問題を解くところを見ているだけですから、楽だし、それは「分かりやすい」でしょう。快いことこの上ない。無知な人間であれば、こういう「教育」が良いものだと思い込むことでしょう。
しかし、その実、自分の頭は全く使っていませんから、こんなことを繰り返していても一向に頭はよくなりません。
子どもとしては、すごく「分かりやすく」教えてもらっているのに、一向に学力も成績も改善しない。それは、子どもを甘やかし、手取り足取り教えすぎるような塾は、プラトン流にいうと、迎合と呼ぶべき仕事をしているだけだからです。
あるべき個別指導塾とはどういうものか。少し子どもを突き放して、習ったことや知っていることを使わせ、子どもの頭をフル回転させるよう仕向ける、技術の塾でしょうか、それとも、子どもを甘やかし、手取り足取り教えこんでしまうような迎合の塾でしょうか。答えは明らかであるように思われます。
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