2019年06月29日 20:23

時代は、塾も学校も「個別最適化」を目指していくべき時

 本日も面談で、お菓子をちょうだいしてしまいました。お心遣い、まことにありがとうございます。

日本のチョコレートってどうしてこんなにおいしいのでしょうか。

 ご新規の方からのお問合せも、本日もたくさんいただきました。国語道場に関心を持っていただいて、ありがとうございます。

 いただいたメールには、本当に親御さんのお子さんに対する強いお気持ちが伝わってくるものがございます。拝読していてまことに身の引き締まる思いがいたします。私どもがお力になれるようでしたら、喜んで応援させていただきたいと思います。

 最近のニュースで、ある政府機関が、「令和の教育改革に向けた、『未来の教室ビジョン』」を取りまとめたというものがありました。これだけ見るとどうということのないお話に思われますが、なんとそれを取りまとめたのが経済産業省ということで、私は少しばかり驚きました。もう文部科学省だけに任せていられないということでしょうか?

 この『未来の教室ビジョン』の柱の一つが、「自立化、個別最適化」ということです。本当にその通りだと思います。

 ホリエモンのような言い方をすれば、はっきり言って今の集団一斉指導式の学校教育なんてオワコンなんですよ。で、そんなことは多くの人が、年金の不足額2000万円と同じくらい、とっくの昔に気づいているわけです。

 そもそもこの集団一斉指導式の学習指導なんて、決して人類史上普遍的な教育方法ではありません。産業革命期の英国で、同質の生産力を持った「まじめな」労働者を育成するために始まったものが起源だと言われています。明治維新期の日本は、プロイセンのギムナジウム教育に自国の教育制度の規範を求めましたが、その時に集団一斉指導式の授業が日本にも伝わり、学級制度という形で現代に続いています。

 集団一斉指導式の教育は、第二次産業が急速に発達していく国においてその人材育成にとって非常に有効な教育方法であったことは確かです。しかし、それは上の通り人類史におけるかなり特殊な教育法だったということに注意する必要があります。「教育」というと、まだまだ多くの人が黒板を前にして子どもたちが同じ方向にずらりと机を並べて、同時に同じことをおりこうさんに教わるものだという思い込みが強いことでしょう。しかし、そんな時代の方が実は圧倒的に短い歴史しか持たないということを知っておいたほうがよいと思います。

 フリードリヒ・ニーチェは、すでに19世紀において、プロイセンのギムナジウムの集団一斉指導式教育を「調教だ」と喝破しています。それからすでに100年以上が経過していますが、我々もそのことにいい加減気付いてもよい頃でしょう。

 集団一斉指導式の教育に意味があるのは、それは大学のレクチャーとか、最難関中高一貫校受験専門塾の選抜クラスの授業でしょう。大量の情報を教授することができますからね。

 しかし、一般公立小中学校の学習指導には、断然「個別最適化」の授業が合っています。

 なぜか。ひとまず理由を2つ挙げておきます。

 1つは、「個別最適化」された学習指導は、子どもたちに学んだことの定着まで責任が持てる仕組みだからです。

 今の学校の集団一斉指導の授業はどうですか?まあ、入塾選抜もやらずに生徒を集めているような集団塾でも同じですが、要は決められた指導内容を教師がしゃべっているだけです。その話をちゃんと聞き、そこで習ったことを練習して身につけるところは生徒本人任せです。決められたことをたれ流しているだけで、学習の定着は知らないよというのが、集団一斉指導の授業です。

 「個別最適化」された学習指導は、考え方や解法を教えた後に生徒がそれを演習し、分からなければさらに補足して説明したり、補充演習をやらせたりと、教えるだけではなくてその定着まで責任を持っている学習指導です。

 もう一つ、「個別最適化」された学習指導のほうがよい理由は、子どもの個性が大切にされることです。

 集団一斉指導式の授業を成り立たせる前提は、子どもたちが決まった時間に決められたとおりにおとなしく行動してくれることです。これは確かに工場労働者として一斉に同じように働いてくれればよい人間を育てるのには適したやり方でしょう。

 しかしながら、そんな人間ばかり作っていて、日本は大丈夫なんですか?ということです。みんなで一斉に同じことを勉強しながら、「俺はあいつよりもちょっと頭がいい」レベルのことにまなじりを決してちまちま狭い教室の中で疑似競争をやっているような人間ばかりでどうするのでしょうか?

 自分の頭であれこれ疑問を感じたり、自分で試行錯誤してみたり、分かったことや面白いと思ったことは、びくびくせずにはっきり人に話せるような人間が必要なんですよね。私たちだって、自分の子どもたちはそのように育ってほしいと思います。

 学校の先生方にも立派な人は多いし、私の友人も何人もいます。文科省の職員にも優秀な人たちはたくさんいることと思います。しかし残念ながら、今のところ彼らが現行の学校制度を守るための「官僚」と化してしまっているとの憾みを禁じえません。経済産業省が「未来の教育」などとぶち上げてきたのには、省益もあるでしょうけれども、このような硬直化した教育制度をどうにかしなければという思いが強いのではないでしょうか

 「個別最適化」という言葉は、私は最近知った言葉ですが、国語道場で私が取り組んできたことはまさにこういうことです。今や同じ思いの人々がこの世の中にはたくさんいて、まさに世の中がそのような方向に動きつつあるのかなといった感覚を覚えています。子どもたちのココロとアタマの成長のため、ひいては彼らのための日本国のためにまだまだ汗をかかなければという思いを強くしています。

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