書き方を教えるというよりも書きたい気持に火をつけること
授業の中で、身近な人に暑中見舞いを書こうという課題をやっている。
はがきや記念切手、装飾用シール、それに本文テンプレートを道場で用意して書かせている。そう、正真正銘の暑中見舞い状を作成させているのだ。
塾で見舞状を書かせるなんてと思う人もいるかもしれないが、僕はそんなことはないと思っている。むしろ、皆さん「お勉強」しすぎだとさえ感じる。
1から10まで何でもかでも「お勉強」で身につけるものだと思っている人は少なくないなあというのが僕の皮膚感覚で、でもそれじゃあ子どもたちも勉強嫌いになるよと思ってしまう。いろいろなことを見て、聞いて、触ってみることから身につくことのほうがよっぽど多いし大切。そういうことをみんなにわかってほしい。
そんなわけで、暑中見舞い。書かせてみると、色々と面白いことが起こる。
「送り先って書いたほうがいいんですか?」 ―― そりゃそうだよ、でなきゃ届かない(-.-;)
「(本文を)住所書く方に書いちゃいました!」 ―― 郵便番号を書く四角があるの、見えなかったかな(-_-;)
あと、なぜか宛名人が空欄(宛先の住所は書いてある)というのもあったかな。受け取る人は結構びっくりするんじゃないかな^^;
まあ、こんなことはご愛嬌。こういうところからしっかりと教えていかなければいけないということだろう。かえってやってよかったという手応えがあった。
見舞い状の本文のテンプレートはいたって単純。「◯◯さん、何々どうもありがとうございます。」程度のもの。
こんなんでなにか意味があるのかと思う人がいるとしたら、そこがミソなんだと言いたい。このテンプレートは、最低限これだけのことを書きなさいというもの。
「これだけじゃちょっと寂しいかも」と思うのは子どもも同じ。そこで、ほとんどの子どもたちは、テンプレートで指定された最低限以上のことを進んで書こうとするわけ。
小さな字で、感謝の言葉や自分が何に頑張っているかということをぎっしりと書いてくれている子もいれば、まるでコンピュータで打ったかのようにきれいにレイアウトされたものを書き上げる子もいる。一方で短い言葉なんだけれども、ウンウン唸って何十分もかけて頑張って書いた奴もいる。で、ある程度期待していたとおりでもあるんだけれども、花火とかいかにも夏らしい素敵な絵を描き添えた子もいる。
こうしたオプションは、やれと言われてやっていることじゃない。だから自由で力があり、素敵で見る者の胸を打つ。子どもたちにはもともとこういう力が備わっている。
こういうことは作文の指導と同じ。学校みたいな環境で、「自由に書いて」なんて言われたって、子どもは大人の顔色をうかがっちゃって四角四面で真面目ぶったつまらないことを書くか、あるいは正直な奴ほど書けなくなる。
一番大切なことは、子どもの書きたいという気持ちに火をつけてあげること。こういうことが分かっていない大人が多いんだよなあ。
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