水木しげると子育てのヒント
うちの小2の娘が最も尊敬する漫画家の一人である水木しげるさんが亡くなった。
奇しくも、訃報が入る前日に娘が作っていたのがこのノート。
水木さんの導きがあったことは想像に難くない。
私自身、「ゲゲゲの鬼太郎」などの漫画作品はあまり読んだことはないのだけれども、妖怪図鑑が子どもの頃大好きだった。復刻されたものを娘にも買って与えたが、彼女もそれを愛読している。
妖怪は幽霊とは違う。幽霊は怨霊で、人を呪い殺すとか危害を加える危険なものだが、妖怪は、人を驚かせたり困らせたりすることはあるが、その程度のものである。概ねみんなこのような妖怪観を持っているのではないかと思うが、それは行き着くところ水木さんの妖怪図鑑に書いてあることによるものなんじゃないだろうかという気がする。
子どもと一緒に水木さんの妖怪図鑑を見てみて、その絵の細かさには改めて驚かされる。
私は漫画の技術的なことをよく知らなかったのだが、娘に教わったことによると、水木さんの妖怪の絵にはスクリーントーンという、背景の模様があらかじめ印刷されているシートがほぼ全く使われていないのだそうだ。着物の模様も畳の目も、藁も柴の束もすべて描き込んでいる。これだけの細かい絵を1枚描き上げるだけで、どれほどの時間と労力がかかっているんだろうと驚かされる。
水木さんの追悼特集でいろいろな記事を読んだが、その人生の転変も驚くばかりだ。
漫画家としては40過ぎてようやく食べていけるようになったという。いくら好きな仕事だと言っても、並の精神力ではここまでやってこられない。水木さんが先の大戦で南方戦線の兵士であったことは大変有名な話だが、そこで何度も死線を乗り越えてきたこと、表現者としての止むに止まれぬ欲求などといったことが、それを可能にしてきたのであろうか。
千葉日報という新聞で、水木さんの次女という方が「水木さんちのきょーいく論」というコラムを月1で連載している。その中で特に印象的だったのは、水木さんの寝坊が結局治らなかったという話だ。
水木さんはとにかくよく寝る人だったらしい。それがために軍隊生活の中では大変苦労したそうだ。とにかく、ちょっとうんこの時間が長かったというだけで「ビビビビビーン」とビンタされる世界。いつも誰よりも最後に起きてくる水木さんは、毎度上官から鉄拳制裁を食らっていたという。
興味深いのは、毎日毎日ひっぱたかれてもぶん殴られても、彼の寝坊が治らなかったということだ。「実験台」になっていただいた水木さんには気の毒だが、子育ての手法として暴力は全く効果がないという我々の教訓として記憶しておくべきだろう。
水木さんの人生の話を聞いていて面白いのは、様々なことで「価値観」の逆転が起こり、何事も何が良くて何が悪いなんてことは簡単に決めつけられないものだなということを実感させてくれるところだ。
寝坊は良くないことだとみんな思っている。しかし、水木さんがあまり寝ない人だったら、90過ぎまで健康で生きられなかったかもしれない。現在みんなを楽しませてくれている彼の作品が生み出されなかったかもしれない。
兵隊は潔く死ぬのが名誉なことだと思われていた。しかし、彼はとにかく生き残るために努力した。どちらが正しかったかは言うまでもない。いや、これから先の時代、彼のように生き残ったことは恥ずべきことだなどと言われる時代が 来ないとも限らない。
目の前のお子さんが、ちょっと気に食わないことをしているとか、世間的に見てどうもあまり良くないようだなんてことにいちいちカリカリしていると、本当に大切なことを見落としてしまうかもしれない、そんな気にさせられる。
時代の空気やら世間の思い込みに流されない、自分の生き方、ふるまい方は自分の内なる声を聞けということなんだろうと思う。
心より御冥福をお祈りする。
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