2019年06月02日 22:35

聖書くらい読んだほうがいい

 今日は第1回定期テスト対策学習会「日曜道場」2回目でした。今週は国語道場の所在地の学区である緑町中学校だけでなく、幸町第一中、千葉大付属中などの第1回定期テスト・前期中間テストが行われるため、参加してくれた生徒の人数が、先週よりもさらに増えました。

 それにしても、みんなよく勉強しますね。朝9:30から夕方4:30まで、本当に勉強するんですよ。今回は新年度1回目の定期テストということもあり、ついこの間まで小学生だった中学1年生も、「日曜道場」でがんばっています。

 私は、中学生の時は本当に勉強していませんでしたからね。そのために、自分の「目標」もなんちゃってに終わってしまったという経験があります。縁あって国語道場に来てくれている子どもたちには、とにかく努力しなかったことで後悔はしてほしくないなと思って、こんな「日曜道場」のような勉強イベントをやっています。テスト当日、これまでのみんなの頑張りが発揮されますように。

 最近、西千葉近隣で聖書が配られていたらしいですね。それが子どもたちの間でちょっと話題になっていました。日本の場合、「宗教の人」が近寄ってくるのは、少々危機的な状況というところもあって、「うわぁ、なんか変なもん渡されちゃった」みたいに思っている子どもたちもいるようです。

 この聖書を配っていたのは、日本国際ギデオン協会の人たちで、私の知る限り、怪しい人たちではありません。むしろ、ビジネスマンとして成功しているクリスチャンの篤志家の方々が、寄付を出し合って無料で聖書を配布しているということのようです。ま、いかにもプロテスタントらしい活動といった感じがします。

 怪しいというと、平日の昼間なんかに自宅を直接訪問してくるような自称キリスト教徒がいるじゃないですか。私が以前その人たちと応対していた時のことです。

「何か悩みはありませんか?私はいつもあれこれ悩んでしまうんですけれども…」

なんて話しかけられた時、

「あなたねえ、福音書の中でイエスが『思い悩むな』って言ってますよね。あなたそれで本当にクリスチャンなんですか?」

と説教したことがあります。人の言っていることをただうのみにして、自分で実際に原典を読んで確認するようなことをしないのは、恥ずかしいことだなと思い至りましたね。

 そういううさん臭い人たちとは違ってギデオン協会の人たちですが、彼らが配っている聖書の日本語訳は新共同訳というものだと思います。「共同」とは、カトリック教会とプロテスタント各派が仲良く日本語訳をしたということですね。言ってみれば、ちゃんとした、信頼できる訳です。

 ちなみに、私は日本語版聖書は自宅に2種類持っています。

 

 写真左は新共同訳の聖書で、旧約も入っている分大きいです(ギデオン協会が配っているものは、たいてい新約しか入っていないと思います)。右は、日本の正教会版の新約聖書です。

 正教会なんで、イエスキリストはギリシア語風に「イイスス・ハリストス」になっています。クリスマスを略して Xmas などと書きますが、この X はエックスではなく、ギリシャ語のカイ Χ で、ハリストス(Χρίστος)の頭文字ですね。

 正教会版の新約聖書は、東京神田駿河台のニコライ堂の売店で手に入ります。

 私はクリスチャンではないし、もちろんキリスト教を広める意図も毛頭ありませんが、それでも聖書は皆さんも読まれたほうがいいと思っています。これは国語という観点からです。

 国語というか、文学、文芸ということになりますが、これはある意味究極の「暗記科目」であります。知っているか知らないかで、読みの深さ、面白さが全然違ってきてしまう。知識・教養がなければ何のことやらさっぱりわからないということになる。その、知識・教養の一つの大きな源が聖書です。これは、現代の人間の多くが「文化的だ」と感じるヨーロッパ文明の根幹にかかわるものだからで、好き嫌いにかかわらず仕方のないことです。

↑『機動戦士ガンダム ジ・オリジン』より

 聖書ネタで私が覚えている一番古いものは、「ウルトラマンA(エース)」で、エースキラーという超獣がウルトラ兄弟を「ゴルゴダの丘」で十字架にかけて処刑しようとするという場面ですね。

「『ゴルゴダの丘』って何だ?」ってものすごく気になったのを覚えています。

  こういった日本のサブカルの中にも聖書ネタは枚挙にいとまがないわけですが、もちろん名作と呼ばれる文学はもちろん、美術、音楽の中にもたくさん入っていて、そもそも聖書を読んだことがないと、本当の意味でこれらのものを理解できるんだろうかと思われるほどです。

 例えば、ドストエフスキイの『カラマーゾフの兄弟』の中で、主人公の一人のアリョーシャ・カラマーゾフが気になっているグルーシェニカというセクシーお姉さんがいまして、親戚でアリョーシャの友人でもあるラキーチンという男に、銀貨25枚あげるから連れてきてくれと頼むという場面があります。

 この銀貨25枚で人を引き渡すという話、これはイスカリオテのユダが銀貨30枚でイエスを裏切るという聖書ネタのパロディですね。枚数が30枚から25枚になっているのは、ラキーチンという男がユダには到底及ばない小物であることを示唆しているのかもしれません。

 さらに遠藤周作の『沈黙』。キチジローという意志薄弱な男は、銀貨300枚で潜伏していた宣教師を幕府の役人に売り渡してしまうという場面があります。

 これがもちろんユダの裏切りを想起させるのはもちろんですが、キリスト教の宣教師を密告した者には銀貨300枚を与えるというのは、実際に幕府の長崎奉行が出していた法令なんですね。長崎奉行が福音書を知ったうえでこのような法令を出していたのかはわかりませんが、何とも皮肉というか不思議な符合があるものだと私には大変興味深く思われます。

 こんな感じで、聖書を読む、聖書を知ることで、「ああ、これってそういうことだったのか」という感じで物事への気づき、理解が深まると思います。人生がより豊かになること請け合いです。

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