褒めるときは大盛りで
公立高校前期入試の出願者数が判明しました。新聞発表は明日になると思いますが。
予想通りというか、市立稲毛高校の国際教養科がどんどん難しくなっていますね。
その一方で、今年市立千葉の理数科に出願した人は、合否だけを考えると少しラッキーかもしれません。
まあ、入学後、ラッキーで合格した人たちのために授業が易しくなることはないでしょうから、本当の意味でラッキーと言えるかどうかは微妙ですがね。
さて、国語道場は塾として子どもたちをほめることを頻繁に行います。
「ほめることを頻繁に行う」なんて持って回った言い方をするのは、それを意識的に行っているからです。
定期テストや実力テスト、通知表などの結果が良い時にほめるのは当たり前ですが、授業中の暗記チェックでほめ、小テストに合格してほめ、合格じゃなくても内容が良いとほめ、前向きな発言をしたらほめ等々。
たまに、保護者の方から大げさなんじゃないですかと突っ込まれることもあります(^^;
誤解のないように言っておきますと、私はなにも歯の浮くようなお世辞を子どもたちに並べたてているということではないんです。
塾というところは「民間教育機関」、ま、要するに商売ですから、とにかく「ほめる」という塾さんは多いですよね。
中には、ここで「イイね」とほめてくださいということがマニュアル化されているところもあるし、子どもを怒らないでくださいということが業務として決まっているところもあります。
こういうマニュアル化を私はバカにするつもりは全くなくて、むしろ学ぶべきところが多いと思っています。大規模化した塾で、一定以上のサーヴィスを間違いなく提供するためには、こうした標準化は必要なことですからね。
ただ、国語道場の私は、あえて自分の感覚を大事にすることを意識的にしています。ほめるべきと感じる時にほめ、怒るべきと感じる時に怒るようにしているということです。
主観です( ・´ー・`)
その「ほめるべき時」や「怒るべき時」の見極めで重要なのは、観察と記憶です。
余談ですが、私、怒るときは怒ります。のべつにほめて、怒らないことをマニュアル化するようなことはしていません。
「子どもを怒ってはいけない」とか「怒ると叱るは別」とか、そういうあまり意味のない言葉遊びは関係なしです。感情を相手に伝えることは大切。「私は怒っています」ということをちゃんと伝えます。
「こういうことを言ったりしたりすると人は怒るんだ」ということを子どもに分からせるのも、授業料に含まれております。
ほめる話に戻りますが、「観察と記憶」というのは、子どもたちの挙動言動をよく見、これまではどうであったかをよく覚えておくことです。
何のためか。それは、変化に気づけるようにするためです。
以前の記事で、詩人は日常の中のほんの些細なことに驚きを見出すということを書いたんですが、子どもを観察する目というのは、このような詩人のそれに近いといえます。繊細さが肝心です。
その点、非常に良いお手本がありました。
われらが千葉市長です。お子さんが親をトイレに起こしたということをわざわざツイッターで公にしているんですが、この感覚は大変イイです。子育てのセンスありますね、この方。
むしろ、こういうのをどうでもいいとか思ってしまうようだと、鈍いな~と思っちゃいますね。
ほめるということは、一見周囲からは「親バカ」とか「大げさ」とか思われるようなものでいいのです。
些細なことをほめられるということは、その子を日ごろよく観察していて、ちょっとした変化に気づけているということだと思うんですよね。
そのちょっとした変化に気が付いて、驚き、そしてその感動を伝えたくてそれを言葉や身振りで表す。それがほめるということですよね。
感動しているんだから、それはもうほめる言葉は自然大盛りてんこ盛りになりますよ。
詩人のような感覚は、子どもとかかわるあらゆる大人が持っていてほしいものだと思います。
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