読解力は知識量でもある
今日は千葉県公立高校前期入試前最後の日曜道場でした。
緑町中や稲毛中、千草台中、みつわ台中は第4回定期テスト(後期期末テスト)が公立高校前期入試と同日実施なので、その対策も兼ねました。
うれしかったのは、定期テストまでまだ1か月ほど時間のある高校生や、なんと第1志望の私立高校に合格し、入試がすでに終了したた生徒も自習に来てくれたことでした。
指定校推薦で希望の大学進学が決まった生徒にしても、1月の入試で難関私立高校への進学が決まった生徒にしても、学ぶ意欲が一向に衰えません。私としては、これが一番うれしいですね。
アリストテレスは、「すべての者が再現されたもの(とりあえずここでは文学作品のことです)を喜ぶことも、人間にそなわった自然な傾向である。・・・その理由は、学ぶことが哲学者にとってのみならず、他の人々にとっても同じように最大の楽しみであるということにある」と言っているのですが、学ぶことを愛するというのは人間の本来の姿なんですよね。
それなのに、勉強は子どもがやらなければいけない苦行かなんかであるように思い込んでいる愚かな大人たちが、子どもたちにおかしな観念を刷り込んでいるというのが現実です。
子どもをやる気にするために、いろいろと経済的な話や社会的なことを子供に吹き込む人の話をよく聞きます。やれ、高卒よりも大卒のほうが生涯年収がこれくらい多いとかそういうことを言って、子どもに勉強をやる気にさせるんだそうですが、私は一向に感心しませんね。
なぜなら、アリストテレスも言うように、学ぶことを愛するのが人間の本来の姿であるからです。こういうおいしい話があるから勉強すると得だよというのは外道もいいところ。
だって、じゃあ特に勉強しなくてもおいしい話にありつけるんだったら、勉強しなくてもいいよねと言っているようなもんですからね。
普段の学習を通して、分かった、できたという経験から、人間本来の学ぶことを愛するという本性をリヴィールしてあげることが大切なんじゃないでしょうか。
だから、あえて言うと入試のようにたかだか人生の一イヴェントに過ぎないものが終わったところで、「ああ、もう勉強しなくていいんだ」なんてつまらない人間にならない。入試は入試、俺は勉強を続けたいという風に子どもたちがなってくれるのは、教育者のはしくれとして本当にうれしく思われるわけです。
そんな感じで、入試が終わった子どもたちも、公立受験組の中に混じって、同じくらいの熱心さで勉強を頑張り続けています。
私学進路決定組の子どもたちの要望もそれぞれで、今のところはしっかりと中学のまとめをやって、公立入試で最後まで勉強し続けている者たちに負けない学力を身に着けておきたいという子もいれば、もうどんどん高校の予習をやりたいという子もいます。
そんなわけで、私も高校地理の教科書を入手して、読み直しているところです。
高校地理の教科書を読んでいて、改めて読解とは何かということを考えました。
私は、読解力は、知識力から切り離すことはできないと考えています。
この考え方というのは、特別独自なものでも何でもなくて、大学や大学院で、文章を文献学的にちゃんと読むということをやっている人であれば、当然同じように考えるであろうというものです。
何が言いたいのかと申しますと、この塾・予備校業界、読解マニアと呼んで差し支えない人々が多数存在しているということです。
この人々の特徴は、文章を読んでわからないことがあっても調べたらだめだ、前後の文脈から意味を類推しろ、「しかし」の後には筆者の考えが来る、などなどの読解テクニックを教えることが読解の指導だと思っていることです。
まあ、全面的に否定するつもりもないのですがね。実際文中の単語の意味は文脈が決めるというのは事実ですし。
しかしながら、やはり文章を読み解くというのは、一文一文自分の身にひきつけて想像したり、分からないことは調べたりしながら、書かれていることを明らかにしていくものです。
難関大学の現代文の入試問題というと、哲学、科学、文明、生命、言語などについての論説文が出題されますが、それはそういうことが議論できるような人に大学に来てほしいということだと思うのですね。決して、「難解な文章」の読解テクニックに長けただけの人に入学してほしいというのではなく。
で、地理の教科書を読んでいたら、次のような記述が目に留まりました。
メルカトル図法では、「緯度60度で、赤道に対する(緯線・経線)それぞれの比が2倍になり、面積は4倍となる」
教科書にこんな記述があるものだから、高校の定期テストでは、「メルカトル図法では、緯度60度で緯線や経線の長さは赤道の( )倍、面積は( )倍になる。空欄に適当な数字を入れよ」なんて問題が出ることがあるらしいです。
ここに書いてあることは、算数や中学までの数学が頭に入っていれば、簡単に理解できます。
円は、北極点と南極点を含む地球の断面図だと思ってください。中心をとおる横線は、赤道の直径です。
緯度60度というのは、赤道から中心角60度をなす線分を描くことで作図できます。円の中心から円周に引く線はすべて半径で同じ長さになりますが、さらに中心角が60度ですから、円周上の2点を結ぶと正三角形が出来上がります。
ご存じのように、同じように正三角形を描いていくと、円に内接する正六角形が出来上がります(上図)。
さて、上の図の正六角形の上底と下底は、ちょうど緯度60度の緯線の直径になります。長さは、図からも明らかなように、赤道の直径の半分になります。
直径が半分の長さなのだから、円周も半分。よって、緯度60度の緯線は赤道の長さの半分になるといえます。
メルカトル図法では、経線と緯線は直行します。つまり、メルカトル図法の地図を描くためには、緯線の長さをすべて赤道と同じ長さにしなければいけません。
緯度60度の緯線は、本当は赤道の長さの半分なので、メルカトル図法で表すためには、60度の緯線は実際の長さの2倍にしなければいけないというわけ。
教科書に、面積は4倍になると書かれているのは、中学で学ぶ相似な図形の面積比が頭に入っていれば、すぐにそういうことかと分かるはずですね。
面積比は、相似比の2乗になるのでしたね。長さの比が2倍ということは面積の比は2の2乗倍、つまり4倍になるわけです。
こんな感じで、地理の教科書を読んでいても、やっぱり知識は大事だよなと思った次第です。
中学までの学習がどれだけ身についているか。それによって、その教科とは直接関係のないようなことでも(この場合は地理と数学)、文章に書かれていることの理解が全然違うということになってきます。
今回の例だと、算数や中学までの数学が身についている生徒ならば、「なるほど、そうなるよね」と読むだけで思えるのですが、算数や数学が怪しい生徒であるならば、教科書の記述をひたすら棒暗記するような勉強をするしかなくなってしまうということです。
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